おはようございます。
先日の終戦記念日に、いつもの8人のシェア会の仲間と、リモートでオンラインの瞑想会をしました。
おそらく私達の代が第二次世界大戦の最後の戦争経験者の娘(や息子)だろうと思います。
今は亡き私の父も、小学6年生で「少年兵」として満州(今の中国)に送られて命からがら二年後に帰国しました(「満蒙開拓義勇軍」と言います)。
父は心に傷を負ったまま大人になり、「満州で地獄の体験をしたから、転んでもただでは起きないぞ!」と強い意志の元、仕事は頑張りましたが、いつもピリピリしていたので、私にとってとても居心地の悪い家でした。
そして長男が生まれた時、実家に帰りましたが、とにかくお腹が空くと大声で泣く元気な赤ちゃんだった為、「赤ん坊を泣かすな😡❕❕」と怒鳴られました。
それで私は益々父の事が嫌いになりました😡👊🏻❕
後で知りました・・・。
終戦を迎えて満州から帰国する時、中国人やロシア兵に見つからないように、とにかく息をひそめて集団になって歩き続けたそうなのですが、赤ちゃんが泣くと彼らに見つかってしまい皆殺しにされるため、我が子を殺さなくてはならない場面が多々あったそうでした。
若い夫婦が中二の父に「どうしても自分たちではこの子を殺せない。どうかこの子を川に沈めて殺して欲しい。」と頼んだそうでした。
父はその場面がどうしても忘れられなくて、何十年経っても夜中にうなされていたそうでした。
なので、長男の鳴き声に反応してしまって、私の事を怒鳴ったんですね・・。
父にとって赤ちゃんの泣き声は「トラウマ」だったのでした。
そしてこの事も、先日の8人のシェア会の瞑想会で知りました。
「アンパンマンのマーチ」は、実は作者のやなせたかし氏が、特攻隊として亡くなったお兄さんに捧げる歌だったんですね・・。
いつだったか終戦記念日に薬師丸ひろ子さんが特攻隊の兵隊さんを送る為の「食堂のおかみさん」役のドラマを見ました。その影響もあってか、12年前に「知覧特攻平和会館」に行きました。
十代、二十代の若き兵隊さん達が「自分がアメリカ兵の飛行機に突撃すれば、家族も国民も幸せになれる!」と信じて行きの燃料だけ入れた飛行機で突撃して、実に多くの命を落としたんですね・・。
その記念館で、彼らが残した家族に宛てた手紙を見て、このラインでは伝えられない何とも言えない気持ちになりました。
やはり私達は、子供や孫達を戦場に送ってはいけないのです!
コロナウイルスというとんでもない病気が流行り、次には「生物兵器」ともいわれる?!コロナのワクチンが出来上がり、ロシアとウクライナの戦争も終わらず(諸外国ではずっと戦争は起きてましたが)、若い人達や弱い動物達を守る為に、こんな私に何が出来るのか・・?!といつも問いかけながら生活をしています。
朝からディープな話題ですみませんでした。
これを読んで頂いてちょっと気になられたら、YouTubeで「アンパンマンのマーチ カバー 黒木祐樹」で検索して、この歌をお聴きになってみてくださいね。
これからも「平和で愛に満ちた世界でありますよう」・・祈るのみです🙏🏻✨